思い違い

一応わたしはプロフェッショナルなクラシックのピアニストだ。

もちろんポップスとクラシックではマーケットの大きさがまったく違うし、
わたし自身は商業ベースでCDが売れるようなクラスではなく、
きちんとしたコンサートは自費でやってようやく回収できるかどうかの梅ピアニストだ。ぐすん。
演奏だけでは生活できないから教えることもやっている。びえぇぇぇぇん。

だから彼らと同じ土俵で考えることは失礼だし不可能だ。

でもやっぱり、自分が生きるということと、
ピアノを弾くということ、音楽をするということが分かち難く一体になっている人生だ。
だから、長瀬くんが音楽にどれだけのものを懸けているか、わかるような気になってしまう。
これがなかなか厄介な感情だ。


クラシックの音楽家って3才とか4才の頃から、
色んなものを犠牲にしてピアノならピアノばっかり弾いてなくてはプロにはなれない。
もちろん芸術だから心がベースになってることは大前提だけど、
ある一面ではほとんどスポーツ選手のように、
訓練の積み重ねが音楽を作っていくという考え方だ。

まったく違う世界なのに、もうそういう耳になっちゃってるから、
どうしてもポップスもその考え方で聴いてしまう。
そうするとやっぱり、あまりうまくないもの、技術の鍛練が感じられないものには魅力を感じない。
ジャニーズや、日本のいわゆるアイドルたちの、未熟だけどそこに魅力がある、というのはあまり理解できない。

tokioの音楽も、ほとんどよく聴かずに敬遠していた。
もともと役者長瀬智也のファンで、こう言っては失礼だけどtokioの音楽にはほとんど興味なかった。
バラエティのtokioはだいすきだけど、CDは買ったことなかった。
典型的なお茶の間の視聴者だよね。
とにかく役者の長瀬くんがすきだから、他の長瀬くんはそんなに必要じゃなかったの。

でも今回ファンになって初めて、アルバムが出るっていうから、
とにかく買ってみた。

そしたらぶったまげた。
今までドキュメンタリ番組とかで長瀬くんが音楽を作ったり語ったりしてるの観てて、
あぁこの人音楽すきなんだなぁ…程度にしか思ってなかったことを土下座して謝る。

長瀬くんは本当に深く音楽とコミットし、
楽曲として形にして、そしてそれを表現して人に伝えることに成功している。

小手先の技術ではなく、この音楽が自分です、この音楽と自分はイコールです、と表現できる、
これはポップスもクラシックもなく、多分すべての音楽家が目指していることだ。

それを長瀬くんは体現している。

そしてそんな長瀬くんを見ていると、さっき書いた、「厄介な感情」がやってくる。
自分は彼をわかっているような。
んなわけねーーーだろーーーーー!!!