ライブで感じたこと。いまさら。長過ぎるぜ、余韻!

当たり前だけど、テレビの中での彼らはものすごく限定されたイメージなんだろうね。
J事務所の人たちはそのイメージを商品として、というか、イメージをコントロールする術をものすごく高度に持ってる感じがする。
tokioは自然体っていうのが大きなチャームだと思うけど、その中でも長瀬くんは特に、こちらには無造作に見える精密さでコントロールしてるように思う。それはもう無意識の域なのかもしれないけど。
(そう、長瀬くんを見てると意識と無意識のことをいつも考えてしまう。自意識とかね)

なんかさ、長瀬くんのカメラスイッチってふしぎだよね。
自分ではスイッチなんて無いと思ってるようにも見えるし、実際に無い時は無いのかもしれないし、そのスイッチの存在を絶対こちらに思わせない技術があるようにも見える。
バラエティの時の長瀬くんが一番ふしぎ。

なんかね、長瀬くん、ファンの存在とかどう思ってるのかなって、見られるということに関しては敵なのかなって、敵っていうと言葉強過ぎるけど、有名人とかゲイノージンとか、ひとりの人間だよとか、そういうことに関してすごく闘ってるのかなと思ってた。それは10代前半とかからだから、それが日常でもうそんな意識もないのかなとか、なんかもう想像もつかないところだけど。
多分、テレビでだけしか見たことが無いと、メディアとファンが別ものだと感じるのはなかなか難しいってことも大きい気がする。

でもライブで、ファンでいていいんだってなんか変だけど、なんかほんとにすごく安心したの。
もちろん色んな思いもあるのかもしれないけど、ないのかもしれない、そんなことはわからないけど、こんなに楽しませてくれてありがとうっていうのと、こんなにtokioのひとりひとりをそこに生きてる人間として感じさせてくれてありがとうっていうのと、ファンでいていいって思わせてくれてありがとうって、いっぱい色々ありがとうって思った。
それは多分、彼らがひたすらに音楽に向かっていたから。
本当のって言葉はあんまり使いたくないんだけど、そこにいる裸の心を見せてくれた、そう感じさせてくれた。
tokioと、tokioの音楽の力だね。